ゴロスカ

狂人に相応しい終わりを迎えるまでの記録

ヨコハマサイコ

たった40年余りしか生きてないけど、昔のことが全て夢のよう。今までのことが少し色褪せたフィルム写真のように思い浮かんでは消えていく。子供の頃からうちは何一つ噛み合わなくて、いずれ絶滅することは本能的に感じていた。でもまさか自分以外の身内が自死するとはね。やっぱ早いうちに死んでおけば良かった。

俺は幼少時から自死願望があった。どんなに楽しいことや幸せだと感じたことがあっても、いつも自死することを自然に考えていた。自分は生きていてはいけない存在だと常に思っていた。この家に要らない人間だと。生まれてこなければ良かった存在だと。世界の破滅とか楽しみにしていた。
幼少時から横浜が嫌で嫌でたまらなかった。異質性を排除する閉鎖的な田舎とスラム街。岸田も柳美里もそういうのに耐えられなかったから受験してそこそこの私立中学に進んだんだろ。俺にはそんな世界があることすら何にも知らなかった。
父は国立大理系卒だけど完全な養育放棄。俺たち兄弟3人は実質母一人に育てられたものだ。父が家に最低限度の金すら入れなかったので、バター醤油ご飯やきな粉ご飯がご馳走だった。でも俺は母と妹弟と一緒に四人で暮らした子供の頃は幸せだった。暖かかった。貧乏だったけど周りも貧乏な家庭が多かったからあんまり気にならなかった。
創価の底辺実動部隊の集団ストーキングには苦しめられたなあ。あん時は殺るか殺られるかだった。創価の集団ストーキングは有名でしょ?ほんとにあるんだよ。団地の郵便受けに猫やカラスの死骸入れられてたし、痴呆症の義母の介護でヘトヘトの50過ぎの母に鎌倉街道からヤンキーが、竹書房うゔぁぁーっ!殺すぞーっごらー!って交差点待ちの間に叫んで凄んだりね。あとうちが住んでた貧乏団地に創価の飼い犬ヤンキーが溜まるようになって、シンナータバコ酒を団地内の路上真ん中でやりまくりの上、団地住民を脅し威嚇しまくってた。で、苦情が警察に入るじゃん?どんな対応したと思う?警官、ヤンキーに近づいて二言三言話した後、
「じゃ、お前らも頑張れよ。」
「おまわりさんも頑張ってねーw」
俺だけじゃなく目撃者多数。
その後何一つ状況は変わりませんでしたとさ。
世界よ。これがスラム街横浜南部だ!
世界よ。これが汚鮮警察神奈川県警だ!
ね?世紀末覇者ヒャッハーの世界でしょ?今も変わらないよ横浜南部は。だって精神的最底辺層の住むとこだから。
そん時俺の友人だったと勝手に思ってた奴らにどんだけ訴えてもみーんな知らんぷり。特に勝手に信頼していた神奈川トップクラスの進学校、浅野高校出身スラム街蒔田の名士www山口浩一郎くんが俺に放った言葉。
「私見だが、君はもう終わりだよ。」
これが横浜の恐ろしさよ。バヨヤンC系に染まらないと迫害されて追い出される。抵抗したら下手したら殺されるよ。
そりゃ桑田もラブコリア歌うわwww
結局うちは追い出されて横浜北部に移住した。南区の閉鎖的な田舎とスラム街から比べたら、そん時ゃ天国のように感じたね。
ま、他にも山ほど横浜に対する恨みはあるけど、今神奈川の異質性を排除する閉鎖的田舎とスラム街、パヨヤンC系主流派に生命の危機を感じている人がいたら、東京の方がはるかにマシマシだよ。例え江戸川向こうでも町田八王子でもはるかにアブラカラメヤサイマシマシです。首都だから。警視庁も汚鮮されてないし。あらゆる選択肢が神奈川とは桁が3桁位違うから。選択肢が多いってのは特に弱い人間にとって余裕に繋がるんだよ。基本みんなお互い無関心を装ってるし治安も神奈川よかはるかに良い。神奈川って治安がいいとこ富裕層が集中する5地域くらいしかないからね。
結局また横浜ヘイトブログになっちゃった。せーの、横浜サイコー!
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